アーティスト

宇陀松山エリア


朝海陽子

1974年、東京生まれ。ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン卒業。「見る/見られる」という行為の関係性や人や物の痕跡を物語のように浮かび上がせる写真作品を制作。研究者の撮影を通して「自然」という視座を得たことから、3.11以降は人と自然の距離に着目し、「風」、「潮」、「川」などの自然現象を対象に風景に潜在する時間を顕在化させるランドスケープシリーズを発表している。

各シリーズでは、被写体と撮影者、撮影対象とその写真を見ている鑑賞者との間合いや距離感が常に意識されており、作品のタイトルにも反映されている。

また、最近ではコロナ5類移行に伴い、日常が徐々に戻ってきている中で、時間の経過や変化を喚起させる状況を調査し、「慣れ」と「移動の身体性」について考えている。

主な展覧会に「touch」(無人島プロダクション、2021)、「生成する風景」(小山市立車屋美術館、2016)、「第6回恵比寿映像祭:トゥルーカラーズ」(東京都写真美術館、2014)、「六本木クロッシング2013展:アウト・オブ・ダウト-来たるべき風景のために」(森美術館、2013)などがある。



《バンビ、ベルリン》2006, from the series sight , © Yoko Asakai, Courtesy of MUJIN-TO Production





クローン文化財(ミレー《種をまく人》)


クローン文化財《種をまく人》は、山梨県立美術館にて撮影された超高精細画像(約1,350億画素)をもとに、東京藝術大学が手掛ける最新の3Dデジタル技術によって、額縁や絵画表面の凹凸まで精密に再現したものです。

オリジナルの作品は、未来の鑑賞者へとバトンを繋いでいくことが必要なので、日光や温湿度などの条件から展示場所が限られてしまいます。クローン文化財は、従来は制限されていた条件下での鑑賞が可能となるもので、今後は、地域の移動美術館や学校での展示などさまざまな活用が期待されています。

*山梨県立美術館の解説文を引用します。

ジャン=フランソワ・ミレー 《種をまく人》 1850年 

パリを離れてバルビゾン村に移り住んだミレーがはじめて手がけた大作。「種をまく人」という画題は、パリにいた頃からミレーの興味をひいていた。画面を占めているのは、左手で種の入った袋を握り、坂を下りながら右手で種をまく農民の堂々とした姿である。しかしミレーの絵は、当時の人たちが見慣れていた農民の姿とは、あまりにも違っていた。そのため、この作品がパリのサロンに出品されたとき、農民の力強い姿を称賛する人もいたが、保守的な人たちはこの絵を非難し、種をまく人を体制に異議申し立てをしている姿とみなした。



クローン文化財 (ジャン=フランソワ・ミレー《種をまく人》1850年) 提供 山梨県立美術館




丸木スマ

1875年、広島生まれ。60代の終わりまで仕事や農作業を続けてきたスマは、三男の開業にともない家計が安定したことで、働き手としては「引退」をします。そして翌年の1948年から、絵画制作に励むようになりました。したがって、スマが本格的に絵を描き始めたのは70歳を過ぎてからです。「わしゃの長生きして絵を描きます」と、描くことが生きがいになっている旨の発言もしています。

絵画にはさまざまな動植物や人々の生活が生き生きと描かれていますが、一方で、緑色の獣に見られる色の選択や構図など、「良い絵にするのはどうしたらよいか」という視点からの判断も見られます。頻繁に(概ね肯定的ではあれ)「子供」「プリミティブ」「素人」「非専門家」「外人」(!)の絵とみなされるスマの絵ですが、そういった留保抜きに鑑賞しうるものです。

はじめは家族に褒められ、そこから次第に夢中になっていった絵画制作ですが、1950年に女流画家協会展や広島県展に出品するとスマの絵は瞬く間に「発見」されていきました。これは、息子夫婦である丸木位里・赤松俊子が《原爆の図》を発表したのと同じ年にあたります。1952年には初個展を開催し約130点を発表しています。

1956年、位里・俊子が《原爆の図》の世界巡回に出て不在の間に、スマは知人男性に殺害され突然の死を迎えます。81歳の生涯でした。没後には、遺族や研究者の調査によって被爆体験に関わる絵画を10点ほど制作していたことがわかるなど、スマにとって「絵を描くこと」はどういった経験だったのかについては、まだまだ考えるべきことがたくさんあります。そしてなにより、彼女の絵は、原爆の図・丸木美術館を訪れた鑑賞者を今もなお魅了し続けています。



《おんどりめんどり》 提供:原爆の図 丸木美術館





山本悠

1988年、埼玉県与野市生まれ。イラストレーター。

コロナ禍のニューヨークで、コミュニティ・ガーデンの仲間たちと活動していました。家から鉄道の高架下を歩いて、10分くらいのところ。その場所で実った作物は、誰でも持ち帰ることのできる菜園です。採れすぎた野菜は路上の冷蔵庫に置きに行きます。行列にならんで配給を受け取ることもできます。ですから貧困だけでなく、美味しい野菜がいつも私たちの隣人でした。

私は絵日記をつけていました。それを読んだセバスチャンが、私にワカタイというペルーの薬草が植えてある場所を教えてくれました。菜園のワカタイはひと夏で、私の背丈ほどまで大きくなって、木かげではクムラが昼寝をするようになりました。この猫には、いくつもの名前がついていました。黄色い毛並みにちなんだクムラという名前は、私が初めて覚えたベンガル語で、かぼちゃという意味。

ある秋の日のこと。「何者かが農園にペッパーを増やしすぎている。それは隣のモスクのイスラム教徒かもしれない。」クリスがこのようなことを訴えました。ま、ちょっと待って。話を聞いてみればわかる。私と彼女はつたない英語を話す者どうしでした。だから時間をかけて話をする必要がありました。だれもが真剣でしたが、笑えてしまうくらいゆっくりと。日が沈んで暗くなって、帰り道が心配になって解散するまで、話し合いました。

だんだんと日が短くなり、何もかも枯れ果ててしまいました。来年のためにニンニクを植えてからひと月がたった初霜の日、私たちはアシュワガンダの根を収穫しました。イサベルが用意したウォッカのボトルに、乾燥させたアシュワガンダを漬けて、チンキを仕込みました。冬の間、みんなが寂しく過ごしているうちに、クリスマスが過ぎ、旧正月が近づいてきたころ、それは完成しました。ちいさな小瓶に分け合いました。帰国までに残されたひと月の間、私はアパートを掃除しながら、イサベルにささげる詩を書いて過ごしました。

これが2023年の3月、大宇陀で、阿騎野薬草農園のみんなと出会うまでの話です。



アカネを掘った日 2023年6月 阿騎野薬草農園 大宇陀拾生
写真:遠藤麻衣





ユアサエボシ

*ユアサエボシ(1983年生まれ)が擬態している「架空の三流画家・ユアサヱボシ」の略歴を書きます。

ユアサヱボシ。1924年生まれ、1987年没。千葉県出身。本名は湯浅浩幸。1940 年頃、 上京し看板屋の仕事に就くかたわら、前衛画家・福沢一郎のもとでコラージュ作品を制作するようになる。1943年には、先輩画家・山下菊二が描いていた《日本の敵米国の崩壊》の制作助手を務める。

戦後は、進駐軍相手に似顔絵を描き生計を立てる。また、紙芝居の着色を担当する 「ヌリヤ」の仕事も手がけていた。1956 -58年にかけてニューヨークに滞在。レストランで皿洗いの仕事をしながら作品を制作する。帰国後は、 アメリカで購入してきた雑誌記事をもとに制作を行う。1964年にシェル美術賞で佳作入選を果たすが、東京オリンピック後の不況のあおりで生活苦になりガードマンの仕事を始める。

1979 年の第 5 回从展出品を最後に、世間から距離を取るようになる。1985 年、アトリエ兼自宅が全焼。1987 年、 火傷の後遺症により逝去する。

ユアサは後年、自らの絵画を「舶来転地様式」と名付けている。ここには、 シュルレアリスム、アメリカ文化、あるいはまた、創作実践と社会運動の共振を信じた「ルポルタージュ絵画運動」の影響などを経由した、ユアサ独自の方法論があり、その自信と自嘲両方の感情が垣間見えている。



《夢》(Dream) size 227.3㎝×324㎝ acrylic on canvas 2021





阿児つばさ

1991年生まれ。作品とか何かを残したい欲が強くて森のつくり方を学んでいる。
主な展覧会に、「scenario」(FINCH ARTS、京都、2023)、「氷橋幌」(札幌500m美術館、北海道、2018)、奈良県立大学現代アート展「船/橋わたす」(奈良県立大学、奈良、2017年)、「花路里と花路里/PEGASUS/ど こ や こ こ」(3331 Arts Chiyoda、東京、2016)など。



a? Fê G pop / インスタレーション、パフォーマンス / 2023




宮崎竜成

1996年、京都府生まれ、石川県在住。あらゆる物事が固有にあるということと、それがある連続の中の一つであるということとを同時に含むことを「リズム」として捉え、それを手がかりに固有のものが固有のままあるまとまりを持つ運動の形をあらゆる手段でつかまえようと模索中。それは時に絵画や音響といったメディアと結びついた作品になったり、自分自身が生きている環境のインフラ構築へと向かったりしている。
作品という固有物から、身の回りの環境という総体まで、あらゆるスケールが絡み合って人や物が集まったり離れたりする運動から、生き抜くための技術を見つけたり、それを丁寧に吟味したり、共有できたりする瞬間に立ち会えるととても嬉しい。
主な展覧会に「極悪 Egregious」(ASTER、2023)、「神 analyzer」(IN SITU、2023)、「密室、風通しの良い窓、ぎこちないモンタージュ」(名古屋市民ギャラリー矢田、2022)、「その声は歌になるか、その音は律動するか」(彗星倶楽部、2020)
主な企画、演出に「原っぱ運動会」(犀川下菊橋右岸、2023)、「芸宿10周年 皿と生き物」(芸宿、2023)、「ケルベロスセオリー これからを考えるためのこれまで」(芸宿103)、「Polaris」(芸宿、2021)、「うらあやか個展 貝の/化石が/跡を残して/化石の/雌型/となった/身体」(金沢市民芸術村、2021)、そのほかにも自身が勤める金沢市民芸術村アート工房での企画多数。



《この会話が成立しているかわからないのに、この場が進んでいるのはおかしい》パフォーマンス(アクター:宮崎竜成、大和楓、べリッタ・グルン)
撮影:小林葵







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