※作品写真は本展で展示されないものも含まれていますのでご留意ください。
たかはしなつき / たかはしなつき (in)
自宅の裏山から杉やヒノキを伐採するところから今回の制作は始まった。自然の大きな力に 生かされ、翻弄される人間の性を10体の人物像で表現。室生の澄んだ空気と清らかな水を たっぷり吸いこんだ作品から少しでも新しい風が生まれますように・・・・。
谷口 和正 / たにぐち かずまさ (sc)
鉄を溶断した文字(花を歌った歌詞を引用)を素材に、歌の世界観を形のあるものへと変容させ、
上空に向ってしなやかに伸びゆく植物や生命力のある形と、磨かれて輝くもの、錆びて朽ちていくものの
対比を希望や華やかさのイメージとして表現した。
http://kazu-one.com/
(作品・ポートフォリオ)http://www.kazu-one.com/zen/
衣川 泰典 / きぬかわ やすのり(pa,sc,in)
私は今まで、様々な印刷物や写真のイメージを用いて、視覚や触覚、人の記憶を刺激する
絵画作品や立体作品を制作してきた。街の風景や記憶を素材に制作された絵画作品と
立体作品で、私達の共有できる記憶の庭のような空間をつくりたいと思う。
http://www.kinukawayasunori.com/
いしかわかずはる / いしかわ かずはる (in)
どこまでも続く世界の中にある、いま・ここ。目に映る何気ない平穏を「線」でとらえ、描く。
その時その場で生まれた線は、今と昔をつなぐ町で、きっとあなたに出会うはず。
心を紡いで、今度は誰に届けようか?
(オフィシャル)http://www.yukari-art.com
(プライベート)http://www.geocities.jp/wee_alive
安達 修 / あだち おさむ (per)
宇宙人アリアンヌ・デュテール。
『旅をしながら地球について勉強しているアリアンヌと是非お友達になってあげてください。』
http://fromplanetearth.com
さかえ頭巾 / さかえずきん (pa,in)
今、我々日本人が心豊かになるべく咲かす花とは、心の華、すなわち"誇り"だと考える。
日本人であることを誇りたい。それにはまず、日本を意識することが第一歩ではないか。
日の丸を意識した私の作品が、些細でもきっかけとなれば幸いである。
http://sakaezukin.nari-kiri.com/
黒崎 創 / くろさき はじめ (ph)
目覚めたら自分ではない何ものかになっていた。カフカの"変身"に恐怖を感じる。 何ものかに変身するのであれば、僕自身が美しいと思えるものに変身したい。 これまでに、技法も被写体も変化してきた。今回は花を中心に展示方法も変えた。
松藤 千佳 / まつふじ ちか (pa)
植物も人間も不気味な細胞が集結して出来た物体である。
「不気味な生=美」花に様々な感情を込めた平面作品。
http://ameblo.jp/chikazukin/
中橋 祥行 / なかはし よしゆき (sc)
毎年季節がめぐりいのちを紡いで咲く花々、地道に淡々と繰り返してきた、いのちのリレー今回、 箱の中にライトを入れその隙間から洩れる光を人の暮らしの営みやいのちのエネルギーといった 事を表現し、町屋の背景と共に その繰り返されるいのちの営みを花と重ね合わせたのである
増田 恵子 / ますだ けいこ (pa)
誰でもない存在、胎児。出生すれば、名前や社会的な肩書きなど「○○としての自分」という、 あらゆる言葉で存在は縛られる。そうした中で忘れがちだが、常に自分の軸の部分には、 誰でもない存在としての自分がいる。
鎌田 仁 / かまた ひとし (sc)
表現のお話。根っこの話で言えば、その作品がなんであるのかは、作家が決定できるこでは なく、鑑賞をする側に大きく委ねるものであり、その点で、あくまで曖昧なものである。ひとつ、 言えるとすれば、そこにあるのは、表現である。おおいに想像力を愉しむ表現である。
河合 晋平 / かわい しんぺい (in,pa)
さんが俥座には他の町家にはない多量の「節」が長さ10メートル弱の床面を覆い尽くしている。
とても魅力的な光景だが"ただ節があるだけ"という先入観のために見過ごされている。
節にスポットをあてるために河合が生み出すレイヤロジールが節と共存する。
http://shimpei.tank.jp
岩名 泰岳 / いわな やすたけ (pa)
父が育てた大和郡山の大きな金魚。ある冬の日、その年の冬は本当に冷たくて魚たちは
死んでしまった。僕たちはそれを畑の隅に埋めた。春が来て金魚のお墓に小さな花が咲いた。
だから山が笑っていた。
http://yasutakeiwana.nukenin.jp/
坂田 峰夫 / さかた みねお (ph)
ポジとネガの狭間にできた世界は、たとえば茶の湯の「日常」と「非日常」の狭間のようであり、
それは「彼岸」と「此岸」、「生」と「死」の狭間なのである。そんな風に、我々が見ている現実や
生きていることが「狭間」によって確認される。
http://d.hatena.ne.jp/MINEO_SAKATA/
加藤 マンヤ / かとう まんや (in)
元遊郭という場に、花をモチーフにした作品を展開する。
花の美と儚さを、場の背景にある意味になぞらえて、欲望と悲哀を表現したものである。
http://www.geocities.jp/manya_26/
寺田 真由美 / てらだ まゆみ (ph)
「美しい花」と「花の美しさ」とは違う。もしある花が、永く記憶に残っているとすれば、 「花の美しさ」を見たからではないだろうか。それは、喜びや悲しみと交差したり、 生と絡んでいたりする。満開の桜にそれを見た人は多いのではないだろうか。
向井 亜夢 / むかい あゆみ (pa)
大きな花の絵(布にアクリルガッシュ)を制作し、心、脳に、
ぶわわっと大きな花が咲き、ハッ!と感動するような作品を目指す。
http://mukaiayumi.blogspot.com/
プータナランド / プータナランド (in)
豊穣の祈りの神籬(ひもろぎ)としての案山子(かかし)は、田の神、山の神の権現であり、 悪霊を祓い、人々に豊かな恵みを与えてくれるものである。それは、物質的恵みだけでなく、 豊かな心、創造力をも呼び覚ます力を宿している。
山江真友美 / やまえ まゆみ (pa)
花の姿をしたそれは、記憶に潜む少女の姿である。 おぼろげな儚い面影、やわらかい肌のにおい、幼い感情、何よりも純粋でありながらエロチックな存在。判然としないが確かにそこに居て、過ぎた日に引きずり込もうとする。
早瀬 真美 / はやせ まみ (pa,sc)
素材、色、大きさにこだわらず、『花』という宇宙をどこまで自分の表現力で形にする
ことができるか、それによって、これまでの自分の作品を平面から立体へ解き放つための
第一歩である。
http://ameblo.jp/negramamita/